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エセー
           

自作のスタンスを語る 2011.11.23


 僕の作品は、現前にあるもの、あるいは意識できる明確なものをかこうとしているのではなく、かなり漠然としていて、おぼろげで、それでいて確かにそれはある、という、かそけし世界を相手にしています。だから、描いていくうちに段々と描きたいものが現れてくる、あるいは見つかってくるようなところがあります。もちろん、概ねの方針は決まっています。例えば、ここに人物が入って、あのあたりに木があって等、画面のおおよその配置や、最終的にはこんな色にしよう等、しかしこの方針も途中で変更することもしばしばです。大作の場合は、特にそうした傾向があり、だいたい自分で抱えられる(身体的にも)大きさに体当たりしながら、構想やテーマそのものを掴んでいくような感じです。今は、裸婦と樹木の生みだす構想に興味を持っています。理由は様々あれど、このような主題やモチーフにどのような意味があるのかは、自分で半分は分かっていて、半分は分かってはおらず、自分から何かが生まれ、更新され、さらに生まれ出てくるものを手助けしながら、楽しみにかつ不安に見守っている助産婦のような趣もあります。最終的にリリカル(抒情的)な感情の全体性として表現できればと思っています。リリカルな感情というのは、エモーション(情動)でも無く、パッション(情念)でもなく、センチメント(情操)つまり美を感じる領域の感情のことであります。作品の全体性をリリカルな感情の域まで高めることが僕の作画の目標です。
 とは言え、誤解されやすいのですが、僕は感情(感覚)任せに描いているわけではありません。自分の作風は、近代フランス絵画的な要素が濃いのですが、実はフランス近代絵画様式は、その造形表現技法上の感覚的なのルールがとても難しくあります。まさに詩を造るがごとしです。詩といっても、自由な詩では無く、漢詩の様に韻を踏む、平仄を整えることなど、意外と面倒なルールがあります。この面倒なルールを何とかこなすと、枠と平面と奥行そのものに美としての意味や価値が生じてきます。これは感覚により受け止める他ありません。また、音楽を作曲するがごとしです。絵画の要素に、線と調子と色彩、加えてマチエール等の要素がありますが、それを枠の中で体系的に組み立てていく必要があります。組み立てのことを、コンポジションと言いますが、これはそのまま作曲という意味にも使われます。本当に音が聞こえる訳ではありませんが、響きやリズムが生じます。このオーケストレーションも視覚的に感覚するよりありません。また、将棋指しのごとしです。画面に登場する様々な要素は、抜き差しならぬ関係にまで組み上げられなくてはなりません。ある駒(要素)が非常に良い場所にあったり、盤上の隅っこの歩が非常に効いていたりするようなものです。無駄なく意味深く配置された要素が相絡まり一つの全体が生じます。これも感覚するより他ありません。
 そして、近代のオールドマイスターにはこうした、詩的、音楽的、将棋的(碁でもチェスでもなんでも良い)な技能がとても優れていて、同時にリリカルな美や深い叡智とが作品と不可分に結びついているのです。それもまた作品から直に感得するより他ありません。ちなみに、マチスは、画面における諸要素の親和的関係は「愛」そのものと言っています。特に現実から超出したような、あるいは彼岸の彼方からこちらにやってきたが如きビジョン、それを画面全体としてリリカルな感情として満たすには、こうした造形技術がどうしても必要なのですが、これがなかなか大変に難しいのです。それを承知の上で、僕は、下手くそな詩と音楽を造って、へぼ将棋を指します。でも僕は、それでも良いと思っています。下手の横好きでも良いし、身の程知らずでも良いし、それでもいたしかたなく描かなくてはならない罰でも良いと思っています。そうした僕自身の程度の問題は別に、タブロー(額縁に収まった油絵)画家とは、素材を扱う技術者でもありますが、同時に音楽家であり、詩人であり、哲学者であり、将棋指しでもあり、そしてある意味宗教者ですらありますから、絵を描くという行為中に、様々な要素が盛り込まれます。そしてタブロー画の良さは、こうした総合の表現にあります。タブロー画では、先達の獲得した、あるいは勝ち取った、歴史上の多様な表現技法のツールを選択できます。多様な美的価値により、初心者用油絵セットがあれば、誰でも描くことができ、最初の一枚が中々の傑作になる可能性もあれば、また綺羅星のごとくある過去作品との終わりの無い戦いにより、一生かけてもそれなりの絵が描けるとも限らず、誰もが入り易く、そして誰もが達成不可能な、広がりと高さ深さを持っています。そして世界中探しても、こんなに多くの人が油絵を描いている国はどこにも無いでしょう。我が国の人たちは、油絵に対して、表現というよりは、「額に収まった魂の宝箱」のような意味合を、どことなく、そのようなイメージを持っているようなふしも感じます。しかし今後の時代、本邦でタブロー画が広く盛んに描かれるかどうかはわかりません。100年後には油絵は描かれなくなり、過去作品の鑑賞と分析の素材となだけになり、漢詩の様に廃れるだろうと、晩年の加藤周一(評論家)が新聞でそのような事を語っていたことを覚えています。また、日本人は漢字文化を輸入して500年経って、やっと中国の一流文人が納得できるような漢詩が書けるようになったと、中国文学者の吉川幸次郎がかいていました。もちろん絵が描かれなくなることはないでしょうが、日本の先達が輸入した「洋画」と呼ばれる、世界的に独自な表現形式の行く末はいかにあるでしょうか。
 そうした状況はさておき、僕の心境を萩原朔太郎の詩に仮託して語るなら

ふらんすに行きたしと思えども ふらんすはあまりに遠し
せめては新しき背廣をきて きままなる旅にいでてみん
汽車が山道をゆくとき みずいろの窓によりかかりて
われひとりうれしきことをおもはむ
五月の朝のしののめの

となるでしょうか。しかし、詩の後半二行を、冬枯れの野に春のつぼみを探したい、とか、秋深まるころ狂い咲きした春の花を見つけに行く、というような意味の詩文に、変えてみたくなるのが、僕の偽らざる心境なのです。


祈り…今 埼玉気鋭作家による 展示 
川口市立アートギャラリー・アトリア
2011年11月23日のシンポジウムにて




















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