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エセー 

高田博厚引用文によせて 「近代絵画考」その1  2016.3.23


 「近代絵画」とは、絵が詩と音楽に恋をしたものである。
こう言えるのは特にフランスの近代絵画群に顕著なのであるが、フランスの近代絵画群は「絵画」を通じて詩と音楽の世界に迫っていった趣がある。
 モダンアートの性質は、近代絵画の父と言われるセザンヌの言う「普遍的かつ個人的」なるものの希求として総括される。さらに要約すれば「人間!?」の希求である。その希求は、概ね共通していた絵画の作法と表現を一新し、個人の詩を、個人の歌を、新しい文体として謳い奏で始めるに至ったが、それは二つの反対の方向に向かった。一方は、自然と絵画を共に解体し、再解釈され、再統合し、止揚された文体創出の方向に向かい、一方はそれと同時に、その文体をもってして、忘れ去られた過去に遡り覆われてしまった本源への回帰に向かおうとしたのである。南極と同時に北極を目指す様なものであるが、一方の極点から出発して反対の極点に至る性質もあり、それらは常に睨み合いながら一つである。またそれらには逸脱と過剰の病も含み、本源を目指すあまりに解体され、解体を目指すことで本源が現れるとも信じた。表裏があり、一方が明るい時一方は暗い。モダンアートを起点とした表現の多様性はこのような事情に起因する。また「近代」の性質そのものがこのようであり、それは現代にも連なる。
 「近代」の波は、発祥の地の地球の反対側の本邦にまで次々と押し寄せた、というより本邦人はこの鋭く大きな波を積極的に引き寄せ勤勉に学び、また取り込みつつも飲み込まれまいともしたのであった。本邦の藝術家、美術家洋画家の先達もまた、その歴史と伝統と民族の違いを知りつつも、またその実相が分からないままにも、その病も、明暗も、知らず知りつ引き受けつつも、熱狂的に「普遍的かつ個人的」に挑戦した。それを恋い焦がれると同時に宿命としてそれを受け取ることとなった。それぞれの挑戦者が、自らが謳うべき「詩」と自らが奏でるべき「音楽」を求めた。しかしそれは容易な道では無かった。詩人萩原朔太郎は、近代国語を用いて詩を作ることは「絶望的な闘い」であると叫んだ。それでもそれをせざるをえない切実なる悲しき欲情が、我らの先達の偉大なる情動と使命と歴史であった。
 ときに「精神」と呼ばれるものの正体は、この「詩と音楽」に顕著に表れる。近代西洋流に言えば、「詩」と「音楽」は芸術の中でも最も「物質」と遠ざかるが故に、「詩」と「音楽」は「精神」の感性的表現様式の最高峰でもあった。近代絵画群の特徴は、物質である美術が、そして絵画が、物質はさらに物質としての特性をあらわにしつつ、同時に直接的に精神と結びつこうとしたことにある。美術が、絵画が、自立を求めると同時に詩と音楽に接近し、現実を現前させると同時に本源に至ろうとする道への挑戦であった。そしてその本源は、自然の光、科学の光の表層の下で、中世の光とエーゲ海の古の輝きとして秘され宿されつつ現れたのであった。近代美術の精髄と真の問いはそこにあるのである。
同様に、我らの先達が秘し宿したものは、「日本の現代」という海の水底(みなぞこ)の夜光貝となって、月あかりの波間の下で密かに鈍色(にびいろ)に輝いているのである。


















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